赤ちゃんの心を理解することは難しい
「赤ちゃんの心を分かるよ」っていう人は、皆さんの周りにいらっしゃいますか?
私の周りには完全に分かるという人は居ないですし、名の知れた教授でさえも「わからないことが多すぎる」と言っています。
それもそのはずで、赤ちゃんは言葉を話せませんし、ジェスチャーができるほど、発達していません。
そもそも、心そのものが未熟なのかもしれません。
そのように、赤ちゃんの心を理解することは、とても難しいように思えます。
では、
- どうやって赤ちゃんのこころを理解するのか
- どうやって赤ちゃんと付き合っていくのか
以上2つを整理していきたいと思います。
今回の参考資料は遠藤利彦ら「乳幼児のこころ 子育ち・子育ての発達心理学」有斐閣,2011 になります。
赤ちゃんに心はあるのか
赤ちゃんの心を理解したいということですが、そもそも赤ちゃんに心はあるのでしょうか?
科学的に考えると、赤ちゃんの心は未熟であると言えそうなのです。
新生児模倣
例えば、ブランバーグ(2005)は「新生児模倣は他の刺激に対しても反応する」と言っています。
新生児模倣とは、赤ちゃんが生後間も無い頃から、舌出しといった、対面する大人の表情をそのまま真似ることです。
私たちはそんな赤ちゃんを人にこそ真似るんだと思いがちですが、生き物以外にも真似しているので、「反射的に赤ちゃんが反応しているだけだ」と考えられます。
新生児微笑
新生児微笑というものも新生児模倣と同様に説明されます。
新生児微笑(自発的微笑、生理的微笑)は主に赤ちゃんに見られるもので、寝ている時にニコッと笑うことを言います。
これは赤ちゃんが良い夢を見ていたり、楽しかったりするのではなくて、単なる神経の痙攣と言われています。
つまり、寝ている時のニコッと笑う様子は赤ちゃんの心を表していないというのです。
赤ちゃんの心と思っていたものは、単なる反応や痙攣なのかもしれない
私たちは赤ちゃんに「錯覚」する
新生児模倣や新生児微笑を例に、赤ちゃんのこころは本当にあるのか?、という疑問にぶつかります。
そんな赤ちゃんに関する知見の多くを遠藤(2011)は以下のようにまとめています。
「赤ちゃんには〜もできる」という知見の多くは、赤ちゃんの実際の能力に関する堅い「事実」の発見というよりは、研究者がある実験結果から推察した1つの「解釈」にすぎないということです。
遠藤利彦ら「乳幼児のこころ 子育ち・子育ての発達心理学」有斐閣,2011
つまり、新生児模倣という赤ちゃんが他の人を真似ることは赤ちゃん自身が真似しようと決めているのではなくて、
私たち大人が真似しているんだと「錯覚」している(遠藤,2011)というのです。
新生児微笑も同様で、単なる神経の痙攣によって口角が上がっているのに、私たちは赤ちゃんは嬉しくて笑っていると「錯覚」してしまうというのです。
確かに私たちは「赤ちゃんが今嬉しがったよ!」と言ったりしますが、冷静に考えると、本当に赤ちゃんが嬉しがっているのかは分かりませんよね。
その笑顔は単なる反射で、そこに赤ちゃんの感情はないなんてこともあるのですから。
私たちは、赤ちゃんに心があるよう「錯覚」する
赤ちゃんの心は私たちが作る
先程、私たちは赤ちゃんにあたかも心があるように「錯覚」しているんだとまとめました。
しかし、遠藤(2011)はその「錯覚」こそが赤ちゃんの心を作る、と仮定しています。
赤ちゃんの心について豊かな「錯覚」をもつことによって、赤ちゃんに対する関わりやその影響下での赤ちゃんの発達がごく自然に適切なかたちで進行していく
遠藤利彦ら「乳幼児のこころ 子育ち・子育ての発達心理学」有斐閣,2011
赤ちゃんは私たちが思っているよりも、何も考えていないのかもしれません。
しかし、そんな赤ちゃんに心はあるとは言い切れないのに、私たちはあたかも心があるように「錯覚」します。
その錯覚こそが本当に赤ちゃんに心を芽生えさせるんだ、というのです。
そんな錯覚は
- 子育ての動機づけ
- 発達の支え
という面で効果があるようです。
子育ての動機づけが高まる
私たちは、赤ちゃんに心があるんだと思うことで、赤ちゃんとの関わりを楽しむことができます。
もし、赤ちゃんには心がないと思って子育てしたらどうでしょう?
育てなくてはいけない、という責任感だけで子育てすることになるかもしれません。
それでは、ポジティブな気持ちで子育てはできないですよね。
私たちは、赤ちゃんに心があると思い込むことによって、嬉しいといった感情を想像し、対話を楽しむことができるのです。
その錯覚によって、子育ての動機づけが高まります。
発達の支え
赤ちゃんに心があるという「錯覚」は、赤ちゃんの自己効力感、安定した見通し、自分の内的状態を知るという発達に繋がる可能性を秘めています。
自己効力感
自己効力感とは、ある行動に対して、自分はできるんだ!と、自らの可能性を認知することを言います。
そんな自己効力感と赤ちゃんへの「錯覚」の繋がりとは何でしょうか?
赤ちゃんは言葉を話せませんから、泣いて表現します。
「錯覚」している養育者は何か緊急のことがあったのかなどと、赤ちゃんの元に駆けつけるでしょう。
ここで赤ちゃんは、泣けば人を動かすことができるんだと、ある種の自信のようなものを得ます。
これが自己効力感の芽生えのようです。
安定した見通し
養育者は育児に没頭することによって、赤ちゃんへの対応に一貫性を持つようになります。
この一貫性を持って、赤ちゃんに関わるということは重要で、赤ちゃんが安定した見通しを持つことに貢献します。
養育者がいつも安定して赤ちゃんに一貫性のある対応をすることによって、赤ちゃんは「こうしたら次はああなるはず」という規則性を学ぶことができます。
この規則性が分かることで、赤ちゃんは未来を予測し、安心して暮らせるのです。
逆に、養育者が一貫性を持っていなかったらどうでしょう?
いつ養育者が優しいのか、怒るのか分からない、、、
見通しを持てないことは、とても不安なのです。
自分の内的状態を知る
最後に、赤ちゃん自身が自分の内的状態を知るきっかけになることも考えられます。
私たちは、赤ちゃんに心があると思います。
赤ちゃんが嬉しがるであろう場面では私たちが嬉しい顔をし、悲しむときは、私たちが悲しそうにします。
赤ちゃんの気持ちを養育者が映し出している(ミラーリング)のです。
それによって、赤ちゃんは自分の心がいつ、どうなるのかを知っていくのです。
まとめ
赤ちゃんに心はあるのでしょうか?
ないとは言い切れないけど、どうやら未熟と言えそうです。
しかし、私たちは赤ちゃんはあたかも心があるように「錯覚」し、接しています。
この「錯覚」というのは何も悪いことではなく、赤ちゃんに心があると思うことで、赤ちゃんの心を作っていく可能性が見出されました。
皆さんも可愛らしい赤ちゃんに惑わされ、「錯覚」してみてはいかがでしょうか。
参考資料
- 遠藤利彦ら「乳幼児のこころ 子育ち・子育ての発達心理学」有斐閣,2011
- Blumberg, M. S.(2005) Basic instinct: The genesis of behavior. Thunder's Mouth Press.(塩原通緒(訳)(2006)『本能はどこまで本能か-ヒトと動物の行動の起源』早川書房)